モラ夫は認められたい?
昨日は警察でお世話になった話を書きました。
題名に①とつけてあったのでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
あれから数年後にもちろん②が出てきます・・・
その時のことはまた順を追って書いていこうと思っています。
長男が1歳になる頃次男を妊娠しました。
その頃はまだ、あの人も優しいところはあるし変わるかもしれない。
という幻想を本当に持ち続けていました。
『優しいところもある』というところに気をつけないといけませんね💦
本当に優しいところはあると思います。
ただその優しいところというのが、夫の機嫌に左右されっぱなしなのです。
つまり自分の機嫌の良いとき、かつ、妻や子どもが自分にとても従順であれば
優しいのです。
我が家のモラ夫はどちらが欠けてもダメでした。
『この家は俺の家だ。俺のいうこと聞けないなら出て行け!』
『この家で一番偉いのは誰だよ!!俺だろ??言ってみろ!!』
『俺がいなくなったらこの家は明日から回らなくなるの。収入なくなるんだから。
でも母親はいなくなっても影響なし!家政婦でもベビーシッターでも雇えば
丸く収まる。むしろ今より良い生活できるわ!!』
等々、私だけではなく子ども達にも言い続けていました。
今思うと、そうでもしないと自分が保てなかったんでしょうね。
なんせモラ夫も小さい頃から暴力、暴言と隣り合わせの生活をしており、
なにをやってもダメだ!と言って認められなかったそうです。
なので40歳を過ぎても私たちに
『俺の親父に認められるようになれ!!』
と口すっぱく言い続けていました。
なんだか悲しい人生ですね。